You are currently viewing 自信、持てなくていいんじゃない?

自信、持てなくていいんじゃない?

note に投稿した分の転載。

 自信を持ちなさい。もっと自信を持って。自分の力を信じて。

 まあそう言われながらだいたいの日本の子どもは小中高と育つんじゃないかなあと思います。
 そうっと周りを見回すと、なんだかみんな自信を持っているような顔をしている気がする。私も自信がないとダメなのか。自信を持っているような顔をしなくては。そう思いながら自信がないことを押し隠し、いつか化けの皮が剥がされるのではないかと思いながら自信たっぷりに振る舞う。
 幸いにも私は、小学生の頃から沈着冷静と言われるような、あまり焦りや恐怖が顔に出ないタイプであったことが功を奏し、小学校の卒業式には教頭先生に「君は大丈夫」って自信たっぷりに言われ、根拠はどこなんだよ……。ってより不安に思ったりしていました。
 なんだかんだありつつ今、いわゆる有名外資企業のどっかにいるんですけど、たぶん人からは、キャリア志向、努力家、才能に溢れて、常に自信たっぷりみたいな人生を生きてる、と、思われてるんじゃないかなと思います。

 でもさ。
 自分のことをそんな、無条件に信じて自信たっぷりな人なんて、ホントにいるのかしら? と私は思うわけです。だって私、自信ないもん。
 振り返っても、まあ常に自信はなかったです。勉強も、まあまあできたけど秀才とか天才とかってタイプではなかったし、何より集中力があまり続かない。すぐ空想の世界に脳が飛んで行ってしまうし、何かに気がそれていると人の話が本当にまるで聞こえなくなる。運が良かったことに、処理能力だけは人よりかなり早い方らしく「聞いてなかったことを感じさせないリカバー力」があったことと、「焦ったり恐怖を感じても全く顔に出ない」という特殊能面力で、「自信がないことを人に悟られない」ように生きてこられたんだと思います。
 みんながうろたえるような場面でも一人うろたえず(本当はうろたえてるんだけどうろたえているように見えていないだけ)、処理能力の高さでその場をしのぐことができれば「こいつはできるな」って思われるんだろうなーとは感じていました。

 しかしこれ、自己評価とのギャップがすごいんですよ。

 だってうろたえてるんだもん。本当は。内面は泣きそうになってて、逃げ出したいと思ってて、でも逃げる勇気もなくて、ぼんやりしてたら取り残されたような気分で、とりあえずその場で一番解決に近そうで自分ができそうなことを言ってみて、なんとかみんなで崖から落ちずにすんだラッキー、みたいな感じです。人から褒められても「いや褒められるようなことなんもしてないです……(ホントは逃げたかったし……)」みたいな気持ち。

 仕事でも基本はずっとそうで、何となくやってる風な雰囲気をかもし出せてて、まぐれで、運が良く、たまたま、言われた仕事ができていた。失敗しそうな時も、失敗したときも、リカバーの速さでなんとか信頼をつなぎ止めて、本当はこいつにはもう任せられないと思ってるかもしれない、と思いながら、冷静な顔を保ち、タスクリストをフル活用してタスクを落とさないようにしてました。
 人からの信頼を失うのが怖い。失望されるのが怖い。だからいつもハリボテで囲んで、できないことを悟られないよう、まさに水面下で爆速で足を動かしながら溺れないように、でもそれを悟られないように冷静で自信のあるような顔をして生きてます。いまも。(ここで言ってるけど)

 他人から圧力かけられても、強くダメな部分を指摘されても本当にその通りだと思ってるので「全く仰るとおりですね?」って凹まないメンタルの強さにもかかわらず、「私のこのハリボテをいつか人に見抜かれ、軽蔑されるのではないか」というすさまじい恐怖は、黒い人間の形をして、常に私の斜め後ろくらいにいて、ときどき強く私を苛みますし、嘘つき、ってひどく責めたてます。

 友人に、それは呪いだねえ。ってふんわり言われて、その黒い人間が自分だったことに、つい最近ようやく気づいたくらい、長く苦しんでいました。

 で、振り返ると。

 「自信を持って」なんて言ってた先生たち、本当にみんな自信満々だったのだろうか? ってことなんですよ。実はみんな、ハリボテの車を手押ししながら自動車のフリして高速道路走ってるような気分だったのかもしれないなって。
 自信の持ち方なんて、44年生きてて、私ついぞわかってないですし、ここから先もわかる気がしない。死ぬまで自信ないって言いながら走ってる気がします。

 でもなんか、それで良いんじゃないかな、って最近思えるようになってきました。あと、自信ない、って、前は怖くて人にはいえなかったんですけど、最近は言えるようになってきました。胃が痛むけど。
 正直に「ここは自信ないです」って言った方が、フォローもらえたりするんですよね。もちろん私も、苦手や自信のなさで困ってる人には進んで手を差し伸べるようにしてますが、弱さがあって当たり前なんだ、って気持ちで優しくなれます。

 自信なくても、ないなりに、取り繕いながら走ってると、なんとなく遠くまで来れちゃうもんなのかもな、と思ったり。
 凹んでも、立ち止まっても、長く座り込んで俯いてたとしても、また一歩踏み出せば、昨日よりは前にきてる、くらいの感じで、ゆるっと生きていきましょう。スペシャルでなくても、この修羅の現世で息してるだけで花丸です。

 元気出なかったら、秋だし美味しいもの食べようね。

 またひとつ年を重ねたので、たまには取り留めのない話を若人(古い)にしたくなりました。老人の始まりかもしれない。平安時代だともう老年。
 ではまた。

コメントを残す