情報リテラシーと広告。

大学でそのまんまの名前の授業があったりした情報系学部ですが、今度の震災で非常に興味深かったのがデマの拡散の仕方でした。特に、世代や性別、勤め人かそうでないか、インターネットを積極的に活用しているかそうでないか、などによって広がるデマも様々でしたし、仕事に絡んでわりと面白い観察ができたと思います。

これまではぼんやり観察しながらちょいちょい感じて面白いなーと思ってはいたのですが、以下の記事を読んで自分でも言語化しておこうかと思いました。

なぜ、オカンはデマを真に受けるのだろう

この記事では主に世代間の情報リテラシー格差を述べていますが、その中の考察で興味深いのが

「オカン達の世代は、国や政治家を信用していない。
(それに対して不正を暴くマスコミや、異論を呈するスピーカーには、一定の信頼を置いている)」
「私達の世代は、誰も信用していない。
(しいて言えば、専門家とか、「自分が信頼できる人が信頼してる人」を信頼する)」

のくだりです。

まさにそうだ、と膝を打つ考察でした。Twitterでも「母がどこかからか回ってきた新聞記者の人の言ったらしい言葉を信用して、どれだけ説明してもイソジンを飲んではダメか分かってくれない」とか、「母がトイレットペーパーを買い占めてきたので高校生の息子が店に返しに来た」とかを見かけましたし、同僚にも「母がとろろ昆布を山のように送ってくれたのでおすそ分け」といってくれた人もいました。

この、「国や大手の会社の公式発表は信用しないけど、何故か知り合いが言ってた噂やマスコミの煽る噂は鵜呑みにする」というのは確かに不思議で、世代や情報源が違うとは言え正直「馬鹿なのか?」とすら思っていましたが、もともとの情報を受け取る土壌が違うんだというのはかなりカルチャーショックでした。マーケティング調査などで、50代から上の世代に対してテレビや雑誌に書いてあることが比較的容易に浸透することは傾向として知ってはいましたが、過ごしてきた時代や歴史までを想像したことはなかったため、単純に生活スタイルの違い(インターネットを積極的に活用していない)で理解していた頭を殴られた気持ちです。そうやって過ごしてきた時代背景を元に考えると、インターネットに馴染んでいるか馴染んでいないかに関わらず、様々な年代にそれは当てはめられるのかなーとも思います。

とはいえ、世代間の違いだけでは埋めがたい情報リテラシー格差ももちろんあり、人からもたらされる情報を受け取るだけの「受動型ネット利用者」はわりと人の噂やデマを信じやすい傾向にあり、自分から情報をいくらかでも発信する、もしくは調査にインターネットを積極的に利用するタイプの「能動型ネット利用者」は自分が書く言葉が本当に事実に基づいているのかを徹底的に調べる傾向があるようにおもいます。今のネット社会では、よかれと思って拡散した情報が1日で「デマでした」と訂正されるのもわりと多いため、少しでも情報を自分から発信する人は「これ本当かな」と思うととにかく原典(ソース)までさかのぼるクセがついてる…事が多いのかなと。

まあTwitterによって「それをやらないで拡散する」人が多くいるのもよく分かりましたけどw、少なくともジャーナリストや記者など一部の文筆を生業とする人達はとってもふるいにかけられた震災だったなーと。メディアのデマ拾い度もまあおおよそ見極められて面白かったです。

基本的に私たちの世代、もしくは世代に限らずインターネットを積極的に利用するカテゴリの人々は、「どんな情報も基本的に信用しない」という傾向はとても強いのは確かで、これが広告などについても反映されているのかと思います。テレビCMや新聞や雑誌で特集を組まれていることも「どういう恣意性を持って編集されているものなのか」という政治的な背景を伺うクセがついていると、素直にCMの回数=若い世代への浸透度とはできなくなってる現状があるんだなーと。テレビを見ない世代、ではなく、見ても素直には受け取らない世代、というか。

そうするとこれまでの「広告の量」よりも「いかにターゲットに浸透する広告」かが重要視されてくるわけで、今後の仕事での考え方をちょっと転換しないといけないのかなーと思ったりしたです。

というたまには仕事してますよ的な話でした。ぽわわわーん。(‘ω’)←緊張感の限界

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